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〜雪とサーカス〜

snow and circus

第一幕

〜雪の森で〜

「エレーヌ、あともう少し町につくまで時間があるんだ。

コーヒーか紅茶、なんでもいいんだけれど何か暖かいものを淹れてくれないかい・・・」


私は幾度も通り過ぎた冷たい景色と風を横目に、妻のエレーヌに声をかけることにした。

「えぇ、私もそろそろお茶にしたいと思っていたの。」

エレーヌの声は柔らかく、温かい。

「ありがとう。」
私はがたがたと揺れる荷台と廻る車輪の音に負けぬよう寒さに震えそうになる声を絞り出した。
口に粉雪が入ったかな、と口をとっさに閉じた。

町に着くにはまだまだかかりそうだ。
しかし、食材が尽きてしまわないかが不安だ・・・。
そういえば、マッチもだんだんと数が数えられるほどになってきたかな・・・。
町に着いても、お金があまりない。

あぁ、寒い。

―と、舞う雪を横目で見た時だっただろうか。
“何か”を通り過ぎた気がした。

私はとっさにその“何か”に囚われたかのように顔も首も体も右後ろとへまわした。
見逃してはいけない気がしたからだ。


視界に1つ、灰色の枯れた木々の中に不思議ななにか。
動くことのない世界に息をするなにかが見えた。


舞い上がる銀の布に宙を滑る白銀、淡く金にも光るの波、
撫でる長い絹のような白い輪郭
―――人・・・・・・? 



「なにか見えたの?」
気付いたらエレーヌは両手にゆげの出るカップを手にして荷台から身を乗り出していた。
隣に座ろうとごそごそと動く。

「なにかいた・・・」
「・・・狼・・・・?」
「いや人だと・・・・」
綱をひとまず置き、エレーヌからカップを受け取った。
「・・・・・人?

町はまだまだ遠いはずなのに・・・この辺りに人が住んでいるとは思えないわ・・・。」
エレーヌが右後ろへと体と顔を動かす。
「ん・・・・。」
エレーヌの風で乱れる髪を目の前に、なにかもやもやとする、後ろ髪をひかれる気持ちになった。
何かから遠ざかっている感覚・・・・

「とまってもいいかな・・・」
私はそう言うと同時に綱を自分のたもとへと引っ張った。
馬が何歩か歩き、止まる。
馬も少し休憩が欲しかったようで、機嫌よく足を踏み鳴らす。
「すこし見てくる・・・。」
私はエレーヌに綱を渡すと雪へと足をのばした。
「大丈夫なの・・・?」
エレーヌは心配そうに馬の前を横切る私に声をかけた。
確かにこんな深い森に一人、馬車から降りて歩き回るのはあまり賢くはない。
狼や賊に襲われることもあれば、あまり遠くに行けば迷うことすらもこういった深い森では珍しくはない。
「大丈夫だよ、少し見てくるだけにしておくさ。狼ならこの時間はいないはずだからね。」
エレーヌは仕方ないわ、と私に手を振った。
「いってらっしゃい、紅茶冷えちゃったらもう一度淹れてあげる。」

私は手を振りかえし、雪の上を軽く音を立てるように速足で駆けた。

――‐人・・・? 

私は目の前の存在に疑問を持った。 

数メートル歩いて、私はさっそく先ほど通り過ぎた”何か”を見つけた。
・・・・いや、出くわした、と言うべきか。


早足で雪の上を駆けていたところ、彼女を見つけた。

銀とかすかに金に輝く髪に、
木の葉一枚もないこの静かな森の中で一つだけ鬱蒼と茂るような深緑の瞳―‐。 


彼女はくるりと周囲の世界を巻き込むように、
それでもただ真に溢れそうな神秘さを秘めて回っていた。

踊っていた。
こんな深い森の中で。 


その光景の神秘さに私は彼女を人かどうかを疑ってしまった。 

気づくと彼女は雪が落ちるように静かに動きを止めて 
こちらを見つめていた。 
「こんなところでなにを・・・」 

「あなたは・・・?」
「えっ・・・・?」
「あなたは・・・・?私はマチに行くの・・・温かいって聞いたわ。ここは寒いから・・・」
「まち・・・?町?って・・・・きみ、まさか歩いて?」
「・・・えぇ。」
彼女はきょとんとしてこちらを見た。

彼女は町に歩きで行こうとしている・・・・?

そもそも彼女はどこから、いやいつから歩いてるのだ・・・?
しかも彼女の格好は洋服ではなく布を何枚をかぶりこんだような様子だし
なんせ注目するのは足、裸足だ・・・・。

一体どうして彼女はこんな格好でこんな雪まみれの森を徘徊しているのか・・・ 

「私も町に行くんだよ、一緒に馬車で行かないかい?歩きは・・・歩きで行くのは辛いと思うんだ・・・。」 


「ばしゃ・・・?」
「・・・うん、馬車だ・・・」
「ばしゃ・・・・」
「・・・・」

彼女は不思議そうに言葉を並べる。 町、の言い方も馬車、の言い方もなぜだか始めて覚えたかのような響きだった。

「ばしゃ・・・」
彼女は呪文でも唱えるようにそう言って、考え込むようにうつむいた。
彼女のうつむく足元には気づかなかったが、一匹の兎がいた。
兎がその小さい鼻をヒクヒクと動かして彼女を見上げている。

「私、バシャで行きたいと思います、まちに連れて行ってくださいませんか・・・?」 

彼女はそう静かにこちらを見て言ったのだった。

馬車に一人のなんとも動物じみた少女を連れて来たことに

エレーヌはまず驚きよりも一人の幽霊でも見たかのように、信じられなかったようだ。

 

それはそうなのだ、こんな深い森でこの15か16といった年の娘が

独りでに薄着でひろひろしているというのはなんとも奇妙なことなのだ。

 

「そこであったんだ、やっぱり人がいたみたいだよ。」

「まあ・・・。」

 

エレーヌはなんだか困ったように頬に手をあて、一人の奇妙な少女を眺めた。

「街まで行きたいそうなんだが、なんせこんな森だし、

この子もこんな格好しているから同乗させたいんだが、いいかな・・・?」

 

「えぇ・・・私はかまわないわ・・・

ただ、まぁなんてこと、こんなところにこんな女の子がいるなんてね・・・」

 

エレーヌはそそくさと少女に近づくと自分の肩にかけている大きな毛布を彼女の首回りに巻き付けた。

「女の子は体を冷やしちゃだめよ・・・」

エレーヌは少女を毛布で包み、抱きかかえるように馬車の荷台あるいは小部屋へと連れ込んでいった。

 

ひとまずエレーヌが少女とやっていけそうでよかった。

そうホッと溜め息にも似た、安堵から出た軽い吐息と一緒に手綱を持ち、座席に座った時だ。

「まぁ!!」

とのエレーヌの驚く声が聞こえた。

 

「ど、どうした・・・!」

滅多に声をあげないエレーヌの大声に腰を浮かせたまま、

荷台への出入り口を覆う布を持ち上げると、エレーヌの真っ青になる顔がのぞいていた。

 

「まぁ!なぜあなた裸足なの・・・?」

エレーヌはまたもや杖をなくした老人のようにふらふらと体を揺らし、

両手を胸の前で握りしめ、少女でもなく、誰に問いかけるでもなくそう言った。

 

少女の方はエレーヌの抑揚の強いしゃべり方や仕草に気圧されたのか、黙りこくってしまった。

エレーヌは仕草も表情も大きく、それが彼女の驚きをどこかコミカルに表現しているのだが、

一方少女のほうと言えば、驚きのあまりに何をどうすればいいのか分からず沈黙に至っている。

 

なんというか、荷台の中は混ざっていはいけない、

あるいは混ざることのない別世界の2人の住人が出会ってしまったように異様な光景となっていた。

 

エレーヌはちらりと少女を見ると、少しでも安心させるためか銀色の彼女の頭を優しく触った。

「私はエレーヌ。今、外で手綱を握っているのがロージェ、私の夫なのよ・・・。

そうね。私達はサーカスの一団だったの、

だからこんな大きな荷台に部屋を引っぱって、旅をしているのよ。

・・・・とても綺麗な髪をしているのね。あなたの名前をうかがっても・・・?」

 

 

 

銀髪の少女は小首を少しかしげ、大きなエメラルドの瞳でじっとエレーヌを見つめると

ようやくこの交わらない2色が綺麗に混ざったように、息があったように口を開いた。

 

 

「わたし・・・、ティカ。」

 

 

 

 

 

 

これが私達の遠い昔のサーカスの始まり、はじまり― - 。

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